小説『Self-Reference ENGINE』円城塔
わけがわからないが面白かった。
『屍者の帝国』を積読し、同著者の『これはペンです』もいまいち理解できず、英訳がフィリップ・K・ディック賞特別賞を受賞した本書を読んだ。
恥ずかしながらまだSF小説を数多く読んだこともなく、有名なディックの小説も未読だけど、海外に評価された作品ならきっと理解できて面白いのだろうというミーハー精神で読み始めた(ディストピア小説は大好き)。
やっぱりわけがわからなかった。
でもこの本は面白かった。
内容は言語や時間、タイムトラベルなどを扱っていてSFしていたのだけど、言葉に注目すると口癖のように言葉遊びが散りばめられている。純粋に文字たるもの、言葉たるものを追及した文学してると思う文章。
読む側としては、わからなさすぎてただの文字列を追っているような感覚になるし、それがただ文字を読む快楽を浴びているような詩的な文章にも感じる。
わからないなりにも読み続けられたのは、この本が20の短編から長編を成していたから。
各々の短編はまったく繋がりの感じられない、突拍子もない展開やイベントが起こる。そのイベントで起きていることはまだ理解できる範囲だし、共通の登場人物も出てくるが、結局それがどこに収束するのか、何に向かっているのかは難解なものになっている。
しかし結末で明らかになる繋がりや超越したような展開は爽快感がある。
それでもやはり、これもまたなんだかわからない。
「存在するが存在しない」
という論が繰り広げられる。
具体的な対象が描かれてストーリーが繋がるのでなく、ぼんやりとしたイメージや想像がゆるやかに全体を繋いでいるような。
とりあえず読んでみてくださいとしか言えません。読めばわかる。
結末を読むまでは、「本」という媒体自身が知性を持って自己認識をしている話なのかな?と思ったけど違うみたい。
フィクションがフィクション自身とは何であるかを問いかけるSelf Reference ENGINE(=自己参照機構)。
結局なんだかわけがわからないままにこの感想も終わる。