好きなものを仕事にするということ。
「好きなことを仕事にした方が楽だし、幸せだ」という声がどこからか聞こえてくる。
しかしそれは順番が逆で、「今の仕事が好きなことになった」というのが一番手短で現実的かもしれない。いくら好きなことでも、仕事になると途端に辛く、苦しくなる。好きなものが好きに続けられるのは、自分のやりたいように、好き勝手できるからだ。仕事に変わると、ノルマや技術が求められる。その技術で日々お金を稼いで食べていかなくてはならない。
正確には「仕事に自分を合わせていく」姿勢が、楽なのだと思う。『郷に入っては郷に従え』とよく言われるのは、仕事にも通じる。「自分に合う仕事がどこかにあるはず」、「自分らしさを活かせる仕事に就きたい」という人は、その職探しに苦しむことになる。難しい道程だと思う。
自分を捨てる仕事術-鈴木敏夫が教えた「真似」と「整理整頓」のメソッド-
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と、言ってる私も最初から好きな仕事に就いているわけではない。好きな分野ではあったけれど、詳しく調べもせず全容が何もわからない仕事を選び、実際に飛び込んでみると、好きなこと以外の部分が仕事の大半を占めていた。これはどこの仕事でも同じかもしれないが、「これが一体何になるんだろう」と疑問を抱きながら、言われたことをただこなしていた。しかし、目の前のことをひたすら続けていくと次第に見えてくるものが広がってきて、自分がしている仕事が必ず社会のどこかで好きなものと繋がっていると気がついた。すると、不思議と自分の仕事が好きになった時期がある。
それは仕事が変わったのではなく、その時期の自分の姿勢と物の見方が変化したからだ。
いつか勤めた会社の社長にこんなことを言われた。
「好きな仕事ができて自分に心地よい働き方ができる。そんなユートピアは無い」
その頃の私は理想にすがりたくて、心の中ではそんなことあるはずがない、そんなことはあって欲しくないと反論していた。今思うと、社長の言うこともわかる気がする。ユートピアは独立してユートピアとして存在はしていない。ユートピアを求めて自分がいくら移り住んでも、その場所をユートピアと思える自分がいるかいないかだと。
いつまでも「自分」を探して、新しい場所に足を踏み入れても、「なんかこれじゃない」、「きっともっと良い場所があるはず」と思うだろうなと達観する自分がいた。そう思った時から、場所を選ぶのをやめたのだと思う。
自分を場所に合わせるようになった。それを諦めと見ることもできるだろうけれど、自分の立ち回り方になったのだと思う。しかしそれでも、これでいいのかなと自問することはある。
ただ、心の持ちようで見える景色はいくらでも変わるのだとは、確実に言える。
余談だけれど、ディストピア小説が好きだ。必ずと言っていいほど二分化した勢力があり、直接力で対立することはないのだが、思想の上で対立し、主人公はその体制を行き来する。人の振る舞いや思想は、考え方でいかようにも変わるのだ。
自分の居場所が理想郷(ユートピア)か、反理想郷(ディストピア)か。決めるのは自分次第。その答えをくれるのは自分の心だ。
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