『栞』 MyGO!!!!! コード進行解説と所感。
アニメをきっかけにバンドリ!を知ってくれた人には、感想など多くの素晴らしいブログを書き残してくださっている方がいらっしゃるので、ぜひそちらを読んでください。
MyGO!!!!!の楽曲を聴いてギターを始める方がいた時のために、アニメのエンディング曲「栞」を取り上げていつものようにコード進行を解説していきます。栞という曲はMyGO!!!!!の楽曲の中でも簡単な方です。
『栞』
歌:MyGO!!!!!
作詞:織田あすか(Elements Garden)
作曲:藤田淳平(Elements Garden)
編曲:藤田淳平(Elements Garden)
(2023年)
Key=D
◇Aメロ("普通" とか "あたりまえ" ってなんだろう)
D | Em | F#m | G
D | Em | F#m | G
◇Bメロ(不器用で 空回って)
G | F# | Bm | Bm
G | A | D A | Bm
G#m7-5 | G | A D | A
◇サビ(ぜんぶぜんぶ 僕だから)
D Em | F#m F# | Bm | G A
D | B#m | G | A
G A | Bm | G A | Dsus4 D
G | G | D
◇間奏
D | Em | Bm | Bm
◇2番も同様
◇Cメロ(信じてもいいのかな? )
G A | D | Bm | G
E7 | E7 | F#m E A | D E7
A Asus4 | Asus4 A | A Asus4 | Asus4 A
◇サビ 同様
以上が原曲キーでのコード進行です。
もしこのコードが難しいのであれば、カポを2フレットに付けてキーを変えて演奏することができます。
それが以下のコードです。
Key=C
◇Aメロ("普通" とか "あたりまえ" ってなんだろう)
C | Dm | Em | F
C | Dm | Em | F
◇Bメロ(不器用で 空回って)
F | E | Am | Am
F | G | C G | Am
F#m7-5 | F | G C | G
◇サビ(ぜんぶぜんぶ 僕だから)
C Dm | Em E | Am | F G
C | Am | F | G
F G | Am | F G | Csus4 C
F | F | C
◇間奏
C | Dm | Am | Am
◇2番も同様
◇Cメロ(信じてもいいのかな? )
F G | C | Am | F
D7 | D7 | Em D G | C D7
G Gsus4 | Gsus4 G | G Gsus4 | Gsus4 G
◇サビ 同様
◎原曲キーもそうですし、カポをつけて弾くことができるコードを見て気づくかと思うのですが、人差し指で全部の弦を押さえる形のFコードがあります。愛音ちゃんも最初はFコードが上手く弾けませんでしたね。ギターを弾く以上Fコードは乗り越えなければいけない壁です!この道を避けては先に進めません!頑張りましょう!
◎Aメロは静かに始まります。ストロークも優しく弾いて、そっと自分の中に語りかけるように始めましょう。この曲は他の誰でもなく自分のための歌だと思って。アルペジオでもいいと思います。その後のサビで緩急をつけることもできます。そのやさしくそっと弾く中で、コードはD→Em→F#m→Gと一つずつ音が上がっていきます。栞のMVにある螺旋階段のように、一歩一歩ゆっくり階段を上がるイメージ。
◎Bメロは一回のストロークが長いのでもっと丁寧に鳴らします。ストローク奏法のあとにアルペジオ奏法を交互に繰り返し弾くので難しいですが、一音一音ハッキリとリズムを感じて置いていくように丁寧に。
ここで登場するG#m7-5はなかなか見慣れないコードで押さえ方も弾き方も変わっていますが、直前で弾くBm7のまま、左手の人差し指を外し、他の指はそのままのフレットの場所を押さえ、ネックを握るようにして親指で4フレットを押さえれば弾くことができます。ただ、左手の指で押さえている弦だけ右手の指で鳴らしてください。アルペジオで5弦と1弦を弾かずに、6弦,4弦、3弦、2弦という順で右手で弾きます(カポがついていても同様です)
「あぁなんて生きづらい世界なんだろう」の後はDコードを押さえ、右手のストロークを弾き下ろすごとに音大きくしていきましょう。これからサビに向かって力を込めていくよーという感じを出します。
「だけど だけど」の一文字一文字にカチッカチッと合わせて力強くAコードを弾きましょう。歯切れよく。ストロークした後、弦を押さえて音を止めてしまってもいいと思います。
その直後、もし余裕があれば、6弦の真ん中のフレット。ネックに丸いマークが2つある位置のフレットを左手の指で押さえて、右手で6弦を弾いてから左手の指をフレットを押さえながら左へスライドさせて「ぎゅーん↓」という音が低い方にスライドするちょい足しもかっこいいので是非。
◎サビのコードはAメロに似たコード進行です。一歩一歩階段を登るイメージは同じですが、Aメロよりコードが変わる拍子が早いです。Aメロでの歩くようなスピードから、Bメロで勢いがついてサビではもう少し早く歩けるようになった。もう少し快活に歩けるようになった感じで弾いてみましょう。うじうじしくしくしていた自分を受け入れて少し前向きになれたかのように。ストロークも明るくはっきりと力強く。
◎間奏はサビの勢いを殺さず、明るく弾いてもいいと思います。その先の2番は少し抑えめでも。ただBメロは静かに。サビでもう一度盛り上げていく。
◎Cメロはストロークを明るく力を込めて弾くけれど、少し穏やかに。「ここにいてもいいのかな」という不安な気持ちを支えるような強さを持って。自信をつけてあげるように。全部を抱きしめてあげるような。
◎最後のサビは入りが静かです。1回のストロークを長めに弾いています。なので1番や2番で弾いたような明るさではなく、Cメロで少し抱いた不安を支え全部を抱きかかえるような自信を持って、ただ明るい力強さではなく、内に芯ができたような力強さで丁寧に弾いてあげると、最後のサビで歌う「少し眠ろう」「僕は僕の味方でいようよ」に少し抱擁する優しさがこもると思います。
MyGO!!!!!というアニメはバンドリ!というコンテンツの中では毛並みが違います。あくまでも「バンドリの中では」。その内容は順当なバンド作品をやってきたという印象を持っています。これまでアニメのバンドリ、ゲームのガルパが紡いできた音楽活動によってキャラクター達が心の躍動を持って成長していく姿を描いてきた、この作風の方がこれまでのバンド作品には無かった風であり、例えるなら光のような一面をまっすぐに突き進む作品という点で異色だったと、MyGO!!!!!のアニメを観て初めて実感に至った自分に驚くほどでした。
そんなMyGO!!!!!のバンドはジャンルで括るならメロコアや青春パンクロックでしょうか。
メロディアスな旋律の上に、大人にも子供にもなれないモラトリアムな若者の中途半端な、だけどその捉われない立ち位置だから歌える曖昧なままでまっすぐに向かっていける無鉄砲さもあり、世間に馴染めず適合できない、上手く生きることができない自分自身の無力さや無力さゆえに失うものを恐れず進んでいける全能感を誇ってみたり。そんな自分をひっくるめて存在を肯定しようとする姿勢も。歌詞の向かう先は直接は音楽を聴く人のために外に放つものでなく、ただひたすらに自分自身への問いかけという内側に向かうエネルギーに同調する人が聴衆となるような内に秘めて温めるようなものという印象を抱いています。
中高生の頃にこれに括られるジャンルを聴いてきた人、自分も含めてMyGOの楽曲を聴いた時は得も言われぬ懐かしさに襲われました。あまりにも好みのジャンルだったことに喜びつつ、今こういう楽曲を放つのかという驚きと今だからこそという時代の空気も感じているし、はたしてこれをバンドリでやる意義はあるのかと疑問を抱いたこともありました。それはバンドリの個性として放てるのか。人の内に抱えるものをドラマのように描き、多くの人の共感を得やすい一般化されたものになりやしないか。ひねくれた私の嫌な癖ですが、そんなことを思っていました。
ただ、不変で普遍な人の悩みやままならなさを抱える部分をしっかりと丁寧に、バンドリが音楽と共に描くようになったんだという感慨深い思いを持っています。しかもそれがちゃんと届く人には届いているということも、ブログを読ませていただく限り伝わってきます。
MyGOの彼女たちは本当に大事なことを言葉にできていません。燈ちゃんは自分の気持ちをノートに書き綴っているし、立希ちゃんは口下手。愛音ちゃんは留学先で自己紹介から失敗し論説文が得意だがそこに魅力が伝わる文はない。そよさんは母子家庭で育つ中で自分の意思と人の意思を混同し自分の気持ちを表明することができず嘘の誓いをする。楽奈ちゃんは人に教えてもらわなければメッセージアプリを使って人に返事を返せない。もう、何もかもが上手くいっていないのに、バンドと音楽というふんわりとした活動が彼女たちを繋いでいる浮遊感。しかし言葉にできていなくても今人間関係がどんな温度の中にあるかは痛いほど手に取るようにわかります。きっと自分の生活でも身に覚えがあるからだと思います。私達もすべてを明確に言葉にして発しているわけではないし、発したとしてそれはいくらかの歪みを持って自分の外に発せられ、また同様に言葉を受け取る人の歪みによって違う言葉として届きます。その歪みを持ったまま言葉上で伝わったと思い込んでコミュニケーションが成立したつもりになっていることは日常茶飯事ではないでしょうか。
人と人との関わりはきっとこれまでもずっと悩みながら営んできたでしょうし、今の時代だから特別に表出しているわけでもないとは思いますが、いつまで経ってもこのやりとりというのは正解がない。私もうまくできたためしなんてありませんし失敗し続けています。
音楽と共に描かれたMyGOのストーリーが、自己の経験と体験に投影されること。これが物語に触れた時に最も自分に残る価値と経験を光らせるものだと個人的には思っているのですが(架空に浸れるものとは別に)、それが自分のものであると同時に、そう感じているのは自分だけではないという表出されない共通感覚を共有するような立ち位置の物語。一人一人異なる主観を持ち寄っても同じ場所と空間に居られる許しのようなものが今求められているのなら、音楽によって繋がりを保ち、奏でられるライブがそうであると描くようなMyGO10話のライブシーン。バンド作品がたどり着く音楽によって共有されるものの境地がこれまでとは違う、関わりの不和の上に成り立つものを、言葉が詩になりメロディに乗り、詩が歌となり歌われるライブステージに集約されて語っているのだと思います。
ただ、あのライブシーンの瞬間に感動している自分と、はたしてこれまでにも味わった音楽が連れて行ってくれる景色と気持ちは何だろうとあらためて違和感となって考える自分がいました。
「歌なら気持ちを伝えられる」
「音楽に言葉はいらない」
定説や真理のように唱えられてきたこの言葉に関して、私はMyGOを観て自分で考え直されければならないなと感じた作品でした。