まじめ道楽

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奥沢美咲における世界について

※私個人の解釈です※

奥沢さんにおける世界について。
「世界」という観点で述べます。
奥沢さんにおける「世界」はハロハピなんだと思います。
奥沢さんにとって物理的な地球規模の「世界」を指すのではなく、「世界」をどのように認識しているか、という話になると思います。すると、奥沢さんにとっての「世界」は自分の手の届く範囲の身の回りで起きていることという視野の狭さ。それは現在においても奥沢さんの中で一貫しており、変わっていないと思っています。

その始点が示されたのは『ハロー、マイハッピーワールド』の奥沢さんのカード『あたしの大事なもの』、メモリアルエピソード『あたしの世界』。
その後においても世界認識が変わっていないことが、ハロハピバンドストーリー3章『にこにこねくと!』、12話『こころの特別』と奥沢さんのカード『千年に一度の夜』メモリアルエピソード『あたし達の日常』でわかるのではと思います。

まず、奥沢さんは自分の人生の限界を決めた人です。星1カードのタイトル『なにごともほどほど』やバンドストーリー1章で言っているように、奥沢さん自身の立ち位置を「セーシュン」という輝きから距離を置いた場所が自分には相応しいと、自分の意欲と人生を計り、客観的に人生の先を見通すように達観して自分ができるのは最大も最小もない範囲で自身の限界値を設定して、枠に収めています。この段階では奥沢さんの時間的な制限の中で、行動と意欲の範囲を決めたことになります。

次に『ハロー、マイハッピーワールド』では、奥沢さん自身がライブを企画するという、奥沢さんが少し行動力を見せて視野を広げてみようと試みた話です。実際に見てもいないのにハロハピの印象を決めつけるクラスメイトにハロハピを知ってほしいという動機でしたが、これは奥沢さんにも存在する決めつけてしまう姿勢がクラスメイトにも同様に見られたことで客観視し、奥沢さん自身への提起となって自身の考えに気づかせる話として見事でした。メンバーからのサプライズMCも、限界を決めず行動することで広がる可能性を後押しする言葉でした。
奥沢さんのメモリアルエピソードで「普段は一歩引いた位置にいるはずなのに、いつの間にか先頭に立って旗をふるなんて」と行動と意欲の変化が見られたのですが、その行動によってもたらされる結果についての認識は、おそらくメンバーが与えようとしたものと違ったものだと思います。
行動力によって自分の世界を広げるという後押しがありましたが、奥沢さんが至ったのは、メンバーが笑顔になっている姿を見て、自分ができる(影響を与えられる)のは自分がいる場所と自分がいる周りというちっぽけな範囲でしかないことを体感し、そういう認識で捉えたことです。それを「世界」という物理的に広義の言葉を使いながら、一個人の内面にある精神的な「世界」という狭義の意味も含みながら、物理的な世界の広さにまでも制限を作ったことです。
つまり、奥沢さんはその性格(と言ってもいいかと思います)から時間的な範囲の人生に限界を作り、さらに物理的な範囲でも認識できる世界と影響を与えられる世界に限界を設定したと考えられます。
私は奥沢さんがこの考えに至ったことを、自分の手の届く範囲のことを広義の「世界」と定義して慈しむような気持ちが見られたと感じていたのですが、「世界の広さ」という観点から述べた方の言葉を聞いてもう一度読み返した時に、認識を改めさせられました。

その後、奥沢さんはいろんな人と出会い、いろんな性格や意思、決定する姿を出会う人の中に見て、その度に自分と照らし合わせていき、自身の肥やしにしてきているのではと思っていますし、得たものによってなにか奥沢さんの変化に繋がることを個人的な妄想含めて楽しみにしてはいますが、奥沢さんの性格は一貫したものでした。
その様子がハロハピ3章でわかるのではないかと思います。
ハロハピ3章は舞台が世界に移ります。架空の国ではありますが、ハピネール王国にやってきたことで今まで住んできた街から離れ、物理的に世界に来たわけです。日常からの逸脱です。奥沢さんの世界認識においても、自身そのものが物理的な距離を移動して実際の世界を訪れてその景色を見、いつも見慣れた場所だったところから視野が広がり、違った文化圏から感じられるものもあったかもしれません。ですが、3章で見られたのは奥沢さんが認識する狭義の世界という「日常」を一生懸命繋ぎ止める姿でした。
ストーリーとしてはハロハピらしい飛躍で、あれよあれよと世界に行くことになり、おまけにこころちゃんまで世界に残ると言い出す始末。それは奥沢さんの考えである自分の周りの「世界」の劇的な変化と「日常」の崩壊です。この日常はハロハピがもたらしたものであり、奥沢さんにとってその特別性は人生を変えるものでしょうし、日々の中でハロハピの魅力を密やかに語る姿からもハロハピが日常に溶け込んで当たり前の日々になっていることがうかがえると思います。特別な存在ではあるけれどもそう意識しないほどに奥沢さんの中に浸透してきたことで、こころちゃんが今までみんなが特別だと思っていた考えに優位性を与え、ハロハピを特別だと思い至った時、「なんでそんなこともわかんないの?」と豪語できたのが奥沢さんだったことに今は納得しています。

こころちゃんがハピネール王国に残ることで、ハロハピのみんなと一緒にいる日常が無くなってしまう。自分の身の周りを世界と認識している奥沢さんが保守する世界、日常。こころちゃんがいる部屋にたどり着くためにいろんな作戦を立ててメンバーみんなで切り抜けたこと。こころちゃんが戻るように説得したこと。その姿勢は物理的な距離を隔てた世界に来ても一貫して変わらない姿でした。奥沢さんの世界はどこまで行ってもハロハピと過ごす日常で、きっとどんな場所に行ったとしても奥沢さんはそれを大切に守り、慈しむのではないかなと思いました。にこにこねくと!のMVでハロハピが各国を巡り、地球を飛び出し、宇宙に行ってもハロハピみんなの変わらない姿がそこにあったことがなによりの証拠ではないでしょうか。

「世界」について考えた時に、『ハロマイ』のカードエピ右は奥沢さんの認識を形成している内面の描写として、初期のうちから十分に補完するものですし、今でも度々読み返します。それほどに重要なカードエピだと思います。

これは感想ですが、ハロマイカードエピで、その後狭義にとらえた世界を笑顔にできるかもしれないと思えたことで、奥沢さんがハロハピの中に自分の居場所を意識したというところもいいなと思いました。ハロハピという集団は特異ではあるけれども、バンド活動をすることによって奥沢さんの言う「セーシュン」には少なからず含まれるだろうし、いつの間にかその中に含めて自分の立ち位置を見つけたのかもしれませんし。それでもなお、奥沢さんはそういうキラキラしたものから距離をとって見つめるという立ち位置を変わらず大事にしたいという気持ちを持っていることもすごく好きです。

また、これは余談ですが、奥沢さんにとってのこころちゃんは、奥沢さんの内面にある相反した部分なのではと思っています。
3章で、無意識?に抱いていた特別の優位性を訴えたところと特別が当たり前になっていたところを同時に内面に宿していたこと。やはり互いの内面の根っこに秘めていた気持ちをぐいっと引き出してあげられる存在なんだなと実感しました。

ハロハピが夏祭りイベストやガルパピコ時空においても、刹那的な終わりの概念を含められるポテンシャルを持ったバンドであることがわかるので、やはり奥沢さんが失われていくものを必死に守る姿はかっこいいと思いますし、今後奥沢さんの内面が成熟した形でそういう話が見れたらいいなぁと個人的に思っています。

以上です。
マシュマロをくださった方へのお答えになっているかはわかりませんが、奥沢さんにおいての「世界」ということについて考えた話でした。
あたらめて考えるきっかけを与えてくださってありがとうございます。