まじめ道楽

観たもの、聴いたもの、読んだもので生きる

『栞』 MyGO!!!!! コード進行解説と所感。

アニメをきっかけにバンドリ!を知ってくれた人には、感想など多くの素晴らしいブログを書き残してくださっている方がいらっしゃるので、ぜひそちらを読んでください。

MyGO!!!!!の楽曲を聴いてギターを始める方がいた時のために、アニメのエンディング曲「栞」を取り上げていつものようにコード進行を解説していきます。栞という曲はMyGO!!!!!の楽曲の中でも簡単な方です。

 

『栞』

歌:MyGO!!!!!

作詞:織田あすか(Elements Garden)

作曲:藤田淳平(Elements Garden)

編曲:藤田淳平(Elements Garden)

(2023年)

Key=D

 

◇Aメロ("普通" とか "あたりまえ" ってなんだろう)

D | Em | F#m | G

D | Em | F#m | G

 

◇Bメロ(不器用で 空回って)

G | F# | Bm | Bm

G | A | D A | Bm

G#m7-5 | G | A D | A 

 

◇サビ(ぜんぶぜんぶ 僕だから)

D Em | F#m F# | Bm | G A 

D | B#m | G | A

G A | Bm | G A | Dsus4 D

G | G | D

 

◇間奏

D | Em | Bm | Bm

 

◇2番も同様

 

◇Cメロ(信じてもいいのかな? )

G A | D | Bm | G 

E7 | E7 | F#m E A | D E7 

A Asus4 | Asus4 A | A Asus4 | Asus4 A 

◇サビ 同様

 

以上が原曲キーでのコード進行です。

もしこのコードが難しいのであれば、カポを2フレットに付けてキーを変えて演奏することができます。

それが以下のコードです。

 

 Key=C

◇Aメロ("普通" とか "あたりまえ" ってなんだろう)

C | Dm | Em | F

C | Dm | Em | F

 

◇Bメロ(不器用で 空回って)

F | E | Am | Am

F | G | C G | Am

F#m7-5 | F | G C | G 

 

◇サビ(ぜんぶぜんぶ 僕だから)

C Dm | Em E | Am | F G 

C | Am | F | G

F G | Am | F G | Csus4 C

F | F | C

 

◇間奏

C | Dm | Am | Am

 

◇2番も同様

 

◇Cメロ(信じてもいいのかな? )

F G | C | Am | F 

D7 | D7 | Em D G | C D7 

G Gsus4 | Gsus4 G | G Gsus4 | Gsus4 G 

◇サビ 同様

 

◎原曲キーもそうですし、カポをつけて弾くことができるコードを見て気づくかと思うのですが、人差し指で全部の弦を押さえる形のFコードがあります。愛音ちゃんも最初はFコードが上手く弾けませんでしたね。ギターを弾く以上Fコードは乗り越えなければいけない壁です!この道を避けては先に進めません!頑張りましょう!

 

◎Aメロは静かに始まります。ストロークも優しく弾いて、そっと自分の中に語りかけるように始めましょう。この曲は他の誰でもなく自分のための歌だと思って。アルペジオでもいいと思います。その後のサビで緩急をつけることもできます。そのやさしくそっと弾く中で、コードはD→Em→F#m→Gと一つずつ音が上がっていきます。栞のMVにある螺旋階段のように、一歩一歩ゆっくり階段を上がるイメージ。

 

◎Bメロは一回のストロークが長いのでもっと丁寧に鳴らします。ストローク奏法のあとにアルペジオ奏法を交互に繰り返し弾くので難しいですが、一音一音ハッキリとリズムを感じて置いていくように丁寧に。

ここで登場するG#m7-5はなかなか見慣れないコードで押さえ方も弾き方も変わっていますが、直前で弾くBm7のまま、左手の人差し指を外し、他の指はそのままのフレットの場所を押さえ、ネックを握るようにして親指で4フレットを押さえれば弾くことができます。ただ、左手の指で押さえている弦だけ右手の指で鳴らしてください。アルペジオで5弦と1弦を弾かずに、6弦,4弦、3弦、2弦という順で右手で弾きます(カポがついていても同様です)

「あぁなんて生きづらい世界なんだろう」の後はDコードを押さえ、右手のストロークを弾き下ろすごとに音大きくしていきましょう。これからサビに向かって力を込めていくよーという感じを出します。

「だけど だけど」の一文字一文字にカチッカチッと合わせて力強くAコードを弾きましょう。歯切れよく。ストロークした後、弦を押さえて音を止めてしまってもいいと思います。

その直後、もし余裕があれば、6弦の真ん中のフレット。ネックに丸いマークが2つある位置のフレットを左手の指で押さえて、右手で6弦を弾いてから左手の指をフレットを押さえながら左へスライドさせて「ぎゅーん↓」という音が低い方にスライドするちょい足しもかっこいいので是非。

 

◎サビのコードはAメロに似たコード進行です。一歩一歩階段を登るイメージは同じですが、Aメロよりコードが変わる拍子が早いです。Aメロでの歩くようなスピードから、Bメロで勢いがついてサビではもう少し早く歩けるようになった。もう少し快活に歩けるようになった感じで弾いてみましょう。うじうじしくしくしていた自分を受け入れて少し前向きになれたかのように。ストロークも明るくはっきりと力強く。

 

◎間奏はサビの勢いを殺さず、明るく弾いてもいいと思います。その先の2番は少し抑えめでも。ただBメロは静かに。サビでもう一度盛り上げていく。

 

◎Cメロはストロークを明るく力を込めて弾くけれど、少し穏やかに。「ここにいてもいいのかな」という不安な気持ちを支えるような強さを持って。自信をつけてあげるように。全部を抱きしめてあげるような。

 

◎最後のサビは入りが静かです。1回のストロークを長めに弾いています。なので1番や2番で弾いたような明るさではなく、Cメロで少し抱いた不安を支え全部を抱きかかえるような自信を持って、ただ明るい力強さではなく、内に芯ができたような力強さで丁寧に弾いてあげると、最後のサビで歌う「少し眠ろう」「僕は僕の味方でいようよ」に少し抱擁する優しさがこもると思います。

 
今回は奏法と、歌詞を思ってどう気持ちを注いで弾くかを混ぜて話してみました。抽象的でわかりづらいと思いますがご了承ください。
 
以下は余談の感想と所感です。

MyGO!!!!!というアニメはバンドリ!というコンテンツの中では毛並みが違います。あくまでも「バンドリの中では」。その内容は順当なバンド作品をやってきたという印象を持っています。これまでアニメのバンドリ、ゲームのガルパが紡いできた音楽活動によってキャラクター達が心の躍動を持って成長していく姿を描いてきた、この作風の方がこれまでのバンド作品には無かった風であり、例えるなら光のような一面をまっすぐに突き進む作品という点で異色だったと、MyGO!!!!!のアニメを観て初めて実感に至った自分に驚くほどでした。

そんなMyGO!!!!!のバンドはジャンルで括るならメロコアや青春パンクロックでしょうか。

ロディアスな旋律の上に、大人にも子供にもなれないモラトリアムな若者の中途半端な、だけどその捉われない立ち位置だから歌える曖昧なままでまっすぐに向かっていける無鉄砲さもあり、世間に馴染めず適合できない、上手く生きることができない自分自身の無力さや無力さゆえに失うものを恐れず進んでいける全能感を誇ってみたり。そんな自分をひっくるめて存在を肯定しようとする姿勢も。歌詞の向かう先は直接は音楽を聴く人のために外に放つものでなく、ただひたすらに自分自身への問いかけという内側に向かうエネルギーに同調する人が聴衆となるような内に秘めて温めるようなものという印象を抱いています。

 

中高生の頃にこれに括られるジャンルを聴いてきた人、自分も含めてMyGOの楽曲を聴いた時は得も言われぬ懐かしさに襲われました。あまりにも好みのジャンルだったことに喜びつつ、今こういう楽曲を放つのかという驚きと今だからこそという時代の空気も感じているし、はたしてこれをバンドリでやる意義はあるのかと疑問を抱いたこともありました。それはバンドリの個性として放てるのか。人の内に抱えるものをドラマのように描き、多くの人の共感を得やすい一般化されたものになりやしないか。ひねくれた私の嫌な癖ですが、そんなことを思っていました。

ただ、不変で普遍な人の悩みやままならなさを抱える部分をしっかりと丁寧に、バンドリが音楽と共に描くようになったんだという感慨深い思いを持っています。しかもそれがちゃんと届く人には届いているということも、ブログを読ませていただく限り伝わってきます。

MyGOの彼女たちは本当に大事なことを言葉にできていません。燈ちゃんは自分の気持ちをノートに書き綴っているし、立希ちゃんは口下手。愛音ちゃんは留学先で自己紹介から失敗し論説文が得意だがそこに魅力が伝わる文はない。そよさんは母子家庭で育つ中で自分の意思と人の意思を混同し自分の気持ちを表明することができず嘘の誓いをする。楽奈ちゃんは人に教えてもらわなければメッセージアプリを使って人に返事を返せない。もう、何もかもが上手くいっていないのに、バンドと音楽というふんわりとした活動が彼女たちを繋いでいる浮遊感。しかし言葉にできていなくても今人間関係がどんな温度の中にあるかは痛いほど手に取るようにわかります。きっと自分の生活でも身に覚えがあるからだと思います。私達もすべてを明確に言葉にして発しているわけではないし、発したとしてそれはいくらかの歪みを持って自分の外に発せられ、また同様に言葉を受け取る人の歪みによって違う言葉として届きます。その歪みを持ったまま言葉上で伝わったと思い込んでコミュニケーションが成立したつもりになっていることは日常茶飯事ではないでしょうか。

人と人との関わりはきっとこれまでもずっと悩みながら営んできたでしょうし、今の時代だから特別に表出しているわけでもないとは思いますが、いつまで経ってもこのやりとりというのは正解がない。私もうまくできたためしなんてありませんし失敗し続けています。

音楽と共に描かれたMyGOのストーリーが、自己の経験と体験に投影されること。これが物語に触れた時に最も自分に残る価値と経験を光らせるものだと個人的には思っているのですが(架空に浸れるものとは別に)、それが自分のものであると同時に、そう感じているのは自分だけではないという表出されない共通感覚を共有するような立ち位置の物語。一人一人異なる主観を持ち寄っても同じ場所と空間に居られる許しのようなものが今求められているのなら、音楽によって繋がりを保ち、奏でられるライブがそうであると描くようなMyGO10話のライブシーン。バンド作品がたどり着く音楽によって共有されるものの境地がこれまでとは違う、関わりの不和の上に成り立つものを、言葉が詩になりメロディに乗り、詩が歌となり歌われるライブステージに集約されて語っているのだと思います。

ただ、あのライブシーンの瞬間に感動している自分と、はたしてこれまでにも味わった音楽が連れて行ってくれる景色と気持ちは何だろうとあらためて違和感となって考える自分がいました。

「歌なら気持ちを伝えられる」

「音楽に言葉はいらない」

定説や真理のように唱えられてきたこの言葉に関して、私はMyGOを観て自分で考え直されければならないなと感じた作品でした。

Music S.T.A.R.T!! OVAについて~西木野真姫が見る夢とlove live~

ラブライブのμ's。μ'sの西木野真姫さんについて考えている日々です。まだラブライブそのものが好きとは胸を張って言えないのですけど(μ'sは好きです)、アニメ一期を観てSchool idol diary(以下SID)を読み、楽曲を聴きました。μ'sが作り上げた9人のグループの形に魅力を感じつつ、素直になれないがμ'sへの愛情を持っていて、一言にツンデレとは当てはめられない性格の西木野真姫というキャラクターのことを主に考えることで、ラブライブに向き合っています。
まだ全体を掴みきれていませんし、西木野真姫さんから見えてくるものを受け取る視野しかありません。アニメと小説、楽曲から伝わってくるものに何故か惹かれる部分が多かったのが西木野真姫でした。今回は、その視野と興味を持ったまま、西木野真姫さんが第5回の総選挙で一位に選ばれてセンターを務めたμ'sの6枚目のシングル『Music S.T.A.R.T!!』のBlu-ray付き通常盤に収録されているOVAを観た感想と、個人的な解釈を書きます。
まだ曖昧な夢心地でいますが、清々しい満足感を味わったからなのか、書き残したいと思ったところです。

西木野真姫さんにとっての夢と現実。

OVAによって、西木野真姫さんが抱える性格、音楽やピアノから続くアイドル活動の道への気持ち、今度の展望。すべてが夢と現実を行き来し、その境界を曖昧にすることによって不可思議なストーリー展開を見せたOVAでしたが、あえて曖昧に描くことによって西木野真姫さんという人が歩んできた人生を包括、凝縮し、ゆるやかな実在感と絶妙な爽快感を放って夢と現実を同居させ、アニメ一期とSIDすべてをまとめて成就させたOVAだと感じました。とても清々しい気持ちでいます。
私個人が観て感じた解釈や考察です。ぜひいろんな方の感想や解釈も聞いてみたいです。

このOVAによって汲み取った概要。
「終わらないパーティ」から見えてくるものはなんなのか。
終わらないパーティ=音楽を歌い続けるアイドル活動。大好きな音楽を奏で続けることを夢見ていた子供の頃の真姫さんの成就。成仏。
μ'sのことが大好きという気持ちの自覚によって、素直になれず好きなものを抑えてきた半生と自分が生きてきた道をも愛するような結実を示す『Love Live』という一つの解への到達を見せてくれた『Music S.T.A.R.T!!』。
そしてこの曲と相反しつつも、真姫さんが抱える矛盾した内面を抱きとめてくれるような『LOVELESS WORLD』の曲にも衝撃を受けました。以上の点を、アニメ一期、SID含めて話していきたいと思います。

このような形で、真姫さんが子供の頃に抱いていた気持ちが今も地続きであると同時に、一つ、真姫さんの中で成就を果たした光景を、幻想的で夢のような現象として見ることができて、私はとても嬉しかったです。
当時、センターを決める5回目の総選挙によって1位に選ばれた真姫さん。投票してくださった方々と、その結果を受けての新曲『Music S.T.A.R.T!!』とOVAを生み出してくださった運営の方々には、本当に感謝します。ありがとうございます。





OVA本編、SIDのネタバレをしていますので注意です※





冒頭

夢はその人の深層心理を当人に見せます。過去を振り返り、未来を予知することもあります。冒頭のシーンは、誰が見ても疑いようのない夢です。
上手から下手(過去)へ、何かから追われるように走って逃げる真姫さん。真姫さんが後方を見ると、逃げているのは光だとわかります。影や闇から逃げているわけではありません。ここでの光は医者の道か、好きな音楽か。医者になる道と好きな音楽を将来という天秤にかけた時、音楽は夢になり得ない真姫さんの境遇から、好きなものが自身から引き裂かれ、自分を追い詰め責めるものの象徴として、真姫さんは光に追われているのではないかと思います。
たどり着いた聖堂。神のために音楽を奏でる象徴=(個人的な)感情を寄せず、感情を想起させない音楽→結果を求められるだけの音楽(ピアノ)という、
真姫さんが子供の頃に経験した習い事として音楽及びピアノに触れてきた経緯を象徴したもののように思います。それと同時に、真姫さんは子供の頃から世界で一番ピアノが好きで、音楽も好きで、ドラマチックな情動の気薄な練習曲(バイエルやブルグミュラー)でさえも、天上の音楽に聴こえる*1ほどの感動を得ているので、真姫さんにとっては聖堂で奏でられる宗教音楽でさえも、心が満たされるような大好きな音楽に含まれるだろうと思います。なので、この場面で真姫さんがたどり着く聖堂は、権威としての絶対的な音楽と、子供の頃に結果を求められる音楽と、大好きな音楽という真姫さんが身を置いてきた音楽環境や音楽観が夢によって象徴された場所にも思えます。

檻に閉じ込められ、フードを被って迫ってくるのはおそらく8人(真姫さんを除いたμ'sメンバーの数)。今でこそμ'sは真姫さんが音楽を続けられる居場所になりましたが、加入する前の真姫さんにとっては、一度真姫さんの中で終わらせた音楽に向き合わなければいけない障害となります。もう一度音楽を始めるということは真姫さんにとってどんな心境と決意で臨むべきかという心情が整っていないと、真姫さんが再び音楽に向けて再起することはできないからです。その切迫感や選択を迫られる恐怖が夢の中で象徴化されたのだと思います。
近寄ってくる8人によって高まる恐怖の末に、
「誰か助けてー!」
と、叫ぶ花陽ちゃんによって教室内に場面が切り替わり、真姫さんが見た夢の話だったということがわかります。そして真姫さんが見た夢は、真姫さんが過去に経験した何かの心象風景を形にした夢だったことが想像できます。
そして真姫さんは、

「もし、今も夢の中だったらどうする?」

と問いかけます。
この瞬間、教室内で花陽ちゃんと会話しているこの現実すらも夢である可能性を示唆することで、現実感が曖昧になります。しかし、これは単なるミスリードかもしれませんし、今が現実であることに変わりはないのかもしれません(私はこの場面は現実だと思っています)。
ただ、この「曖昧さ」を初めに盛り込んでくることで、のちの展開に違和感なく自然な現象として捉えることができる準備を整えた効果的な台詞でした。


「夢」という言葉が指す対象は二つあります。寝て見る夢と、目標としての夢。教室の場面で真姫さんが問いかけた「夢」とは、寝て見る夢ではなく、目標としての夢を指していると思います。それは真姫さんがμ'sとして好きな音楽を楽しんでいる未来の夢。この問いには、その夢が今現実になっているという点で「夢ではあったけれどもう現実になっている」という同時性を抱えることができます。つまり、花陽ちゃん他にとってあのシーンは現実世界なのだけれど、真姫さんにとっては目標としての夢も、その夢が叶った現実も同時に生きている今なのです。それは言い換えると、夢の中にいると言うこともできます。なので、真姫さんが問いかけた「もし今も夢の中だったらどうする?」という言葉は、真姫さんにとってはなんら的外れでもおかしな問いでもありません。「もし」という仮定でない可能性も十分に考えられます。
では、今まさに夢と見まごう現実感と共に叶えられた夢の中にいる真姫さんはこれからの未来とどう向き合っていくのでしょうか?


窓を開けて吹き込む風を受ける真姫さん。この構図は2話で真姫さんが『START:DASH!!』の曲を提供した後、一人風を受けて佇む場面と同じ横顔を映しています。真姫さんにとって2話のあのシーンは作曲を始めることで音楽ともう一度向き合うきっかけとなる瞬間であり、OVAにおけるこの場面はその回想を浮かべたことでしょう。
そして真姫さんは言います。

「さっき話した夢、たしかに怖かったけど、ちょっと楽しかったかも」

あの夢が真姫さんの過去であるなら、それは音楽とピアノが純粋に大好きで、きっとその気持ちを素直に表すことのできた子供の頃の真姫ちゃん(子供時代の真姫、以下真姫ちゃん)です。父親に「なんで一番じゃないんだ!」*2とピアノのコンクールで結果を求められる前の真姫ちゃん。その頃の自分自身の心境を思って、真姫さんはあの夢を「怖いけど楽しい」と言えたのだと思います。

夢の中へ

LoveLiveのタイトルロゴが映され、場面は音楽室に移ります。一人ピアノを弾こうとする真姫さんですが、ピアノの鍵盤を押しても音が出ません。ピアノの中を覗き込むと、視界の中に一人の子供をとらえ驚きます。その子供は自分の幼い頃の姿だと気づき、空は雲に覆われ雷鳴が響きます。ここまでで起きた不可思議な現象から、このシーンは夢だと思われます。
次の日、真姫さんを除いたμ'sのメンバーがいつものように屋上で練習しようとするのですか、真姫さんは体調を崩して休んでいるという認識になっているようです。その屋上で、フェンスに腰掛ける幼い真姫ちゃんの後ろ姿。この時点で真姫さんと真姫ちゃんは入れ替わっていたのでしょう。

絵里さんが教室に忘れ物をして取りに戻るシーン。誰もいない校内で真姫ちゃんが自由に、軽やかな足取りで絵里さんを戯れに誘います。辺りが暗くなり、カラフルな照明が校内を満たし、光に満ちた出口が遠くに見え始めます。絵里はその光とまきちゃんの後ろ姿に導かれるように外へ出ると、外もすっかり夜になっていました。絵里さんを待っていた他のμ'sのメンバーにも同様の現象が起き、いつのまにか夜になったことに慌てています。
希さんが、
「夢見てるんとちゃう?」
という気づきに、
「そうだよ」
と、子供の真姫ちゃんが返答しμ'sの前に現れて初対面します。ここでの「そうだよ」はただの相槌ではなく希さんが問う「夢」であるかどうかの返答。
続けて穂乃果が真姫ちゃんに質問をします。
「本当にここは夢の中?」
真姫ちゃんは答えます。


「うん。終わらないパーティーのね」

終わらないパーティーに閉じ込めたもの

真姫ちゃんが目を閉じると、校舎の奥から夜空に花火が上がります。まるでこの世界の中を思い通りに操っているかのようですし、それはこの夢が真姫さんの見ている夢であることに他なりません。
そして真姫ちゃんの意味深な台詞が続きます。
「おねぇちゃんのこと、ずっと前から知ってるよ。9人になる前のバラバラだった頃から」
アニメ本編でも、真姫さんは1話から穂乃果ちゃんに見つけられ作曲担当として勧誘されたり、2話で曲を提供して以降、少しずつメンバーが集まっていく様子を見ている一人でもあります。子供の真姫ちゃんが音楽を続けていく延長上の未来に夢を見ていたのだとすると、そういう描写はありませんがアイドルをしている未来を想像してこんなメンバーがいたらいいなぁと夢を見ていたかもしれません。また、もし花陽ちゃんが言うように、ここが時間が戻った夢の世界なら、真姫さんが記憶を残したままで未来から逆算される運命であるかのように「前から知っている」という時間を超えた神の視点で語るような台詞を言うこともできそうですが、元に戻った真姫さんの様子から真姫ちゃんでいたことは覚えていないようです。
では、「前から知っている」という確信の裏付けはどこにあるのか。それは次に続く台詞にあるのではと思います。
ことりちゃんが問う
「どうして?」
という言葉の後、
「だってわたし、ずっと、ずっと……」
と、真姫ちゃんは繰り返し自分に言い聞かせるように、躊躇っているようでもありながら、これから打ち明ける気持ちが自分の中にあることを確かめるように囁きます。
そして、「ずっと」の後に続く言葉を言わぬまま真姫ちゃんは光に包まれて、今の真姫さんの姿に戻ります。
この瞬間に、子供の頃の真姫ちゃんは役目を終えます。音楽を終わらせることで大好きな音楽とピアノを続ける延長上に見えていた未来と夢を子供時代に閉じ込めた真姫さんに、音楽とピアノが大好きな気持ちを思い出させ、その気持ちとμ'sのことが大好きという気持ちを結びつけました。
子供の頃の真姫さんは、親にすすめられて習い始めたピアノを好きになり、音楽を好きになりました。ピアノが上手くなればパパやママに喜んでもらえることも意欲に繋がっていました。真姫さんが小学一年生の頃、ピアノの発表会で学年が上の子を差し置いて2位という結果を残して、それを親に伝えて喜んでもらえることを期待していたのですが、父から帰ってきた言葉は、
「なんだ、一位じゃないのか!」
という、真姫ちゃんにとって悲痛な言葉でした。この瞬間に、真姫ちゃんは親が求めているのはピアノを弾く真姫ちゃんではなく、西木野家に相応しい結果を出す子を求めていたことを子供心に実感します。そして、自分はピアノが好き、音楽が好き、ピアニストになるという気持ちや本音を覆い隠し、将来は「おいしゃさんになりたい」と卒園アルバムに書くほどでした。

私は音楽がすごく好きなんだって気がつくまでには、そう時間はかからなかったわ。でも、同時にそれがーーその私の大好きな音楽が、自分の一生の夢には絶対なってはくれないっていうことにも。
『School idol diary 西木野真姫』 本文より

これらのことから、真姫ちゃんがいた夢の世界「終わらないパーティー」は、一度終わらせた音楽への気持ちから完全に切り離された、音楽が大好きという気持ちでいられた子供時代で時を止めて閉じ込めたのだと思っています。そしてその子供時代には、気持ちを素直に表せるであろう幼い真姫ちゃんがずっと居続けていました。その過去の真姫ちゃんが夢に現れ、未来で音楽を続ける居場所となっているμ'sのメンバーの前で気持ちを素直に表明しようとしたことが今の真姫さんの報いとなって幼い真姫ちゃんの思いが成就し、まるで成仏するようにその姿を消し、今の真姫さんに変わった瞬間に、なんとも言えない感動を覚えました。


穂乃果ちゃんに問い詰められ、「ずっと」に続く言葉を求められる真姫さんは恥ずかしがって視線を逸らします。この時真姫さんは自分の中にたしかに宿っている本音を思って、最後まで口にすることはありませんでした。しかし、その内面に現れるようにもう一度子供の真姫ちゃんが映され、「みんな(μ's)のことがずーっと好きだったの」という今の真姫さんの気持ちを代弁して「終わらないパーティー」の始まりへと誘います。

そして始まる『Music S.T.A.R.T!!』のMV。
音楽が奏でられる限り、メロディに合わせて歌い、リズムに合わせて踊るアイドルの活動は永遠であり続けます。
『なんで今まで素直になれずにいたの?』という歌詞を凛ちゃんが歌うことも、キャラ自身への問いかけとしてとても良かったです。
「もっと知りたい?私の想いを知りたい?』という歌詞も、OVAで自分の中で蓋をしていた気持ちをあらためて知る過程に寄り添うものです。
子供の頃の気持ちを払拭するような気づきに至り、夢の中ではありましたがある種の成就が果たされたことで、真姫さんが生きている人生の中で素直に好きという気持ちを示す愛の表明を見ました。そうして迎えた曲の中で、この作品名であるラブライブ(love live)がこの曲で初めて歌詞に盛り込まれて歌われたことで、「生きることを愛する」という一つの解釈が与えられたように思いました。
真姫さんに注目して感じられた文脈ですが、ユニットとしてリリースされたシングルとしてこれがμ's全体を象徴する概念であるなら、この先に観る2期や劇場版にも通じるものがあるのではないかなと思っています。

相反する矛盾を持つ人

もう一つ、衝撃を与えられた曲がカップリング曲として収録されています。

LOVELESS WORLD』

ここまで真姫さんが素直に愛の表明に至る過程を紡いできたにもかかわらず、そのカップリング曲に持ってきた「愛のない世界」……これは一体どういうことかと頭を抱えてしまいました……。曲調も激しいメタルでしたし……。一枚のCDの中でここまで真逆な二曲が収録されて大きな矛盾を孕むすごい一枚だと思いました……。
しかし、この相反する矛盾こそOVA以前に真姫さんが抱えていた内面を見事に表現したものであり、OVAを観た後だからこそこの曲しかなかったとより思わされる歌詞でした。

μ'sに加わる前も加入時もそうですが、真姫さんは自分が好きでやりたいことと、医者という親の跡を継ぐという将来の二つを天秤にかけながら、自分はどちらを選ぶのか。どう振舞うべきなのかという矛盾を抱えていました。それはアニメ本編でもうかがえるように、穂乃果ちゃんが初めて真姫さんに出会った時はポピュラー(アイドル)曲を弾き語る真姫さんの歌を聴いたことがきっかけでした。しかし真姫さん本人はクラシックやジャズをよく聴いていて、こういう(アイドル)曲は軽くて遊んでいるみたいな音楽だと形容して、まるで興味を示していないように言い放ちます。この時点で行動と言動に矛盾があります。アイドル曲を弾き語っていたことの照れ隠しもあったでしょうが、無意識にそう言ってしまうようにそれほどまで真姫さんの中では、環境と自分の意思とで渦巻いて相反し、矛盾した気持ちを一緒に抱えていたのだと思います。だからこそ、μ'sに入ったことでその絡まった悩みの糸が解けるように、解消されていく姿に真姫さんの魅力と愛おしさがあると感じています。

そんな真姫さんが抱える相反した感情を歌い上げた『LOVELESS WORLD』。

灰になる運命を選びたいの 本当は
忘れてよ 忘れないで どちらも私なの
幸せ願ってると言いながら闇へ
LOVELESS WORLD

結ばれぬ運命に引き裂かれる思い出
見つめてよ 見つめないで どちらも私なの
さよならのkissして
幸せを願う(愛してると)
私は独りで(愛してると)
悲しみの国へ
LOVELESS WORLD
LOVELESS WORLD』歌詞

「忘れてよ 忘れないで 」
というフレーズは、まるで子供の頃の真姫ちゃんと今の真姫さんが問答するように聞こえ、どちらがどちらに問い、答えているのかを思うと胸打たれるものがありますし、そのどちらも私なの、と健気に抱きしめるような感情にもどかしくなります。

同じ時を生きて
同じ夢を語り合う
願いは叶わぬまま 孤独の中へ帰るわ
LOVELESS WORLD』歌詞

子供の真姫ちゃんが夢に見たものは叶わず時間と共に封じ込められて、真姫さんが夢で見たあの暗い聖堂の中に一人帰っていったと想像することもできます。曲の始まりと終わりに扉が閉じられるSEが挿入されることもその表現なのではと思えます。
ただ、この曲はどこまでも沈み閉じていく気持ちをささやかに守る歌だけではないと思っていて。その歌詞がCメロにあります。

消えない消えないこの炎
私の中燃える 今も(消せないから)
ここで抱きしめたい
みんなみんな忘れたい(愛なの)
LOVELESS WORLD』歌詞

消えない炎は真姫さんの中にある音楽とピアノを好きな気持ち。その炎は消せない。そして忘れたいと歌っていますが、それすらも「愛なの」と歌っています。真姫さんがピアノと音楽を好きになったのは、紛れもなく親がくれたきっかけです。親が意図する目的は違いましたが、真姫さんはそれでも好きになりました。そして、父から「どうして一番ではないのか」と迫られた時、自分の好きなことだからやりたいの、と主張することも反抗することもできませんでした。親が与えてきたものを無視できなかったのだと思います。音楽を終える一言を浴びせたのも親で、音楽を始めるきっかけを与えたのも紛れもない親なのです。それは完全に否定することのできない、抱きかかえるしかない事実として真姫さんに付きまといます。それは消したくても消せない、忘れたくても忘れられない愛というわけです。

これはSID本文で真姫さんのモノローグで書かれていますが、もしピアノを続けていて、医者ではなくピアニストとしての道を進んでいたら、きっと真姫さんはμ'sとは出会えなかったはずです。音ノ木坂学院にも入学しなかったでしょう。父の跡を継ぐため、秋葉原という地域に根差すために医者の道を進む決意をしたことで、一度音楽を終わらせたからこそμ'sと出会い、あらためて音楽が好きと歌えることができた。親にμ'sの活動がバレてμ'sを辞めようと決めた話で、自分の本音の気持ちを思い切ってまっすぐぶつけることの大事さに気づきます。そしてそんな居場所をくれたμ'sが大好きと、SIDで嬉しそうに書き記しています。しかし、これも真姫さんらしさだと思うのですが、OVAでも結局、μ'sのメンバーの前で「みんなが好き」という気持ちを直接口にして伝えることはできていません。SIDで日記という形でみんなに読んでもらい、普段は言えないことを文字で伝えるところも素晴らしいのですが、やはり自分の口から「大好き」という気持ちを伝えることには素直になれない。まだそこには至っていないんですよね。最後まで自分の中に閉じ込めたまま、素直になりきれないところは変わらないのかもしれません。ですが、子供の頃に閉じ込めた思いを解放して今の自分に気付かせる形で、たしかに私はμ'sが好きなんだと自覚させる過程を、たとえ幻想と夢の中だとしてもこうして見せてくれたことが、とても嬉しかったです。
LOVELESS WORLD』という真逆の題を含んだ曲によって、真姫さんの思いがより強度を増してくるという文脈が込められたものでした。

そんな光と闇、夢と現実という両面を抱えた楽曲とOVAを通して、大きな到達を迎えた真姫さんは、今ここから未来へどのように向き合っていくのでしょうか?
それは、同じくこのシングルに収録されたドラマパートを紹介して終わろうと思います。

現実で見る夢の中

露天風呂に入る穂乃果ちゃんと絵里さんと真姫さん。
夜空の星を眺めて、流れ星を探して願い事をしようとはしゃぐ穂乃果ちゃん。
「何をお願いするのよ?」
と聞く真姫さんに答える穂乃果ちゃん。
「μ'sのアイドル活動の成功と、穂乃果たちの友情がずーっと続きますように。みんなとずーっと一緒にいられたらいいなぁって」
穂乃果ちゃんらしい朗らかな調子の願いに、真姫さんが異なる考えを言います。

「けど、そんなこと流れ星にお願いしても意味なくない? それってお願いするっていうか、自分たちがそう努力すればいいだけの話だし」

現実主義的で、親の期待に応えるためにしてきたピアノや勉学への努力だけではなく、今は乗れなかった自転車に乗れるように陰で努力している姿からも真姫さんらしさを感じます。
斜に構え、素直になれず、器用そうに見えて実は不器用なところもあります。
そんな真姫さんがμ'sに感化されて、これからは名前で呼び合い、誇らしくいい友達だと思えるようになったμ'sのために努力を重ねていける。
ずっと一緒にいられたらいいなという永遠のような終わらない願いを、自分の努力によって繋ぎとめていくという意思を感じました。
子供の頃に願い夢見た大好きな音楽が続くNever ending stageは、μ'sで歌い踊る限り終わらないパーティーに他なりませんし、それを現実で叶えたμ'sで、真姫さんがアイドルをしている今の場所は、きっと現実で見る夢なのでしょう。


www.youtube.com

余談ですが、西木野真姫さんというキャラが本当に好きだなと思います。好きすぎて辛いです。それを話すと長くなるのでやめます。
では、ここまで読んでくださってありがとうございます。

*1:『School idol diary 西木野真姫』 本文より

*2:『School idol diary 西木野真姫』 本文より真姫さんの父の台詞

奥沢美咲における世界について

※私個人の解釈です※

奥沢さんにおける世界について。
「世界」という観点で述べます。
奥沢さんにおける「世界」はハロハピなんだと思います。
奥沢さんにとって物理的な地球規模の「世界」を指すのではなく、「世界」をどのように認識しているか、という話になると思います。すると、奥沢さんにとっての「世界」は自分の手の届く範囲の身の回りで起きていることという視野の狭さ。それは現在においても奥沢さんの中で一貫しており、変わっていないと思っています。

その始点が示されたのは『ハロー、マイハッピーワールド』の奥沢さんのカード『あたしの大事なもの』、メモリアルエピソード『あたしの世界』。
その後においても世界認識が変わっていないことが、ハロハピバンドストーリー3章『にこにこねくと!』、12話『こころの特別』と奥沢さんのカード『千年に一度の夜』メモリアルエピソード『あたし達の日常』でわかるのではと思います。

まず、奥沢さんは自分の人生の限界を決めた人です。星1カードのタイトル『なにごともほどほど』やバンドストーリー1章で言っているように、奥沢さん自身の立ち位置を「セーシュン」という輝きから距離を置いた場所が自分には相応しいと、自分の意欲と人生を計り、客観的に人生の先を見通すように達観して自分ができるのは最大も最小もない範囲で自身の限界値を設定して、枠に収めています。この段階では奥沢さんの時間的な制限の中で、行動と意欲の範囲を決めたことになります。

次に『ハロー、マイハッピーワールド』では、奥沢さん自身がライブを企画するという、奥沢さんが少し行動力を見せて視野を広げてみようと試みた話です。実際に見てもいないのにハロハピの印象を決めつけるクラスメイトにハロハピを知ってほしいという動機でしたが、これは奥沢さんにも存在する決めつけてしまう姿勢がクラスメイトにも同様に見られたことで客観視し、奥沢さん自身への提起となって自身の考えに気づかせる話として見事でした。メンバーからのサプライズMCも、限界を決めず行動することで広がる可能性を後押しする言葉でした。
奥沢さんのメモリアルエピソードで「普段は一歩引いた位置にいるはずなのに、いつの間にか先頭に立って旗をふるなんて」と行動と意欲の変化が見られたのですが、その行動によってもたらされる結果についての認識は、おそらくメンバーが与えようとしたものと違ったものだと思います。
行動力によって自分の世界を広げるという後押しがありましたが、奥沢さんが至ったのは、メンバーが笑顔になっている姿を見て、自分ができる(影響を与えられる)のは自分がいる場所と自分がいる周りというちっぽけな範囲でしかないことを体感し、そういう認識で捉えたことです。それを「世界」という物理的に広義の言葉を使いながら、一個人の内面にある精神的な「世界」という狭義の意味も含みながら、物理的な世界の広さにまでも制限を作ったことです。
つまり、奥沢さんはその性格(と言ってもいいかと思います)から時間的な範囲の人生に限界を作り、さらに物理的な範囲でも認識できる世界と影響を与えられる世界に限界を設定したと考えられます。
私は奥沢さんがこの考えに至ったことを、自分の手の届く範囲のことを広義の「世界」と定義して慈しむような気持ちが見られたと感じていたのですが、「世界の広さ」という観点から述べた方の言葉を聞いてもう一度読み返した時に、認識を改めさせられました。

その後、奥沢さんはいろんな人と出会い、いろんな性格や意思、決定する姿を出会う人の中に見て、その度に自分と照らし合わせていき、自身の肥やしにしてきているのではと思っていますし、得たものによってなにか奥沢さんの変化に繋がることを個人的な妄想含めて楽しみにしてはいますが、奥沢さんの性格は一貫したものでした。
その様子がハロハピ3章でわかるのではないかと思います。
ハロハピ3章は舞台が世界に移ります。架空の国ではありますが、ハピネール王国にやってきたことで今まで住んできた街から離れ、物理的に世界に来たわけです。日常からの逸脱です。奥沢さんの世界認識においても、自身そのものが物理的な距離を移動して実際の世界を訪れてその景色を見、いつも見慣れた場所だったところから視野が広がり、違った文化圏から感じられるものもあったかもしれません。ですが、3章で見られたのは奥沢さんが認識する狭義の世界という「日常」を一生懸命繋ぎ止める姿でした。
ストーリーとしてはハロハピらしい飛躍で、あれよあれよと世界に行くことになり、おまけにこころちゃんまで世界に残ると言い出す始末。それは奥沢さんの考えである自分の周りの「世界」の劇的な変化と「日常」の崩壊です。この日常はハロハピがもたらしたものであり、奥沢さんにとってその特別性は人生を変えるものでしょうし、日々の中でハロハピの魅力を密やかに語る姿からもハロハピが日常に溶け込んで当たり前の日々になっていることがうかがえると思います。特別な存在ではあるけれどもそう意識しないほどに奥沢さんの中に浸透してきたことで、こころちゃんが今までみんなが特別だと思っていた考えに優位性を与え、ハロハピを特別だと思い至った時、「なんでそんなこともわかんないの?」と豪語できたのが奥沢さんだったことに今は納得しています。

こころちゃんがハピネール王国に残ることで、ハロハピのみんなと一緒にいる日常が無くなってしまう。自分の身の周りを世界と認識している奥沢さんが保守する世界、日常。こころちゃんがいる部屋にたどり着くためにいろんな作戦を立ててメンバーみんなで切り抜けたこと。こころちゃんが戻るように説得したこと。その姿勢は物理的な距離を隔てた世界に来ても一貫して変わらない姿でした。奥沢さんの世界はどこまで行ってもハロハピと過ごす日常で、きっとどんな場所に行ったとしても奥沢さんはそれを大切に守り、慈しむのではないかなと思いました。にこにこねくと!のMVでハロハピが各国を巡り、地球を飛び出し、宇宙に行ってもハロハピみんなの変わらない姿がそこにあったことがなによりの証拠ではないでしょうか。

「世界」について考えた時に、『ハロマイ』のカードエピ右は奥沢さんの認識を形成している内面の描写として、初期のうちから十分に補完するものですし、今でも度々読み返します。それほどに重要なカードエピだと思います。

これは感想ですが、ハロマイカードエピで、その後狭義にとらえた世界を笑顔にできるかもしれないと思えたことで、奥沢さんがハロハピの中に自分の居場所を意識したというところもいいなと思いました。ハロハピという集団は特異ではあるけれども、バンド活動をすることによって奥沢さんの言う「セーシュン」には少なからず含まれるだろうし、いつの間にかその中に含めて自分の立ち位置を見つけたのかもしれませんし。それでもなお、奥沢さんはそういうキラキラしたものから距離をとって見つめるという立ち位置を変わらず大事にしたいという気持ちを持っていることもすごく好きです。

また、これは余談ですが、奥沢さんにとってのこころちゃんは、奥沢さんの内面にある相反した部分なのではと思っています。
3章で、無意識?に抱いていた特別の優位性を訴えたところと特別が当たり前になっていたところを同時に内面に宿していたこと。やはり互いの内面の根っこに秘めていた気持ちをぐいっと引き出してあげられる存在なんだなと実感しました。

ハロハピが夏祭りイベストやガルパピコ時空においても、刹那的な終わりの概念を含められるポテンシャルを持ったバンドであることがわかるので、やはり奥沢さんが失われていくものを必死に守る姿はかっこいいと思いますし、今後奥沢さんの内面が成熟した形でそういう話が見れたらいいなぁと個人的に思っています。

以上です。
マシュマロをくださった方へのお答えになっているかはわかりませんが、奥沢さんにおいての「世界」ということについて考えた話でした。
あたらめて考えるきっかけを与えてくださってありがとうございます。

終わりがあるもの

久しぶりにちゃんとブログというものを書きたいと思い、キーボードを叩き始めてみたものの、何を書いたらいいのかわからず、思いついたタイトルだけポーンと投げて始めています。

季節は秋にさしかかり、涼しい夜に虫が鳴いてる。このブログを始めたのが職場を変えた秋の頃で、もう3年経とうとしている。しばらくは狂ったように耳コピ記事をあげていたのが何に駆り立てられたのか今ではわからないけど、気が向いたときにできて振り返っても悶々としない息抜きにできていたのだと思う。

 

気づけば30歳を過ぎていて、自分が30になることになんの感慨深さも実感もなく迎えた。一つ歳を重ねるおめでたさもよくわからなくなった(死なずに生きているありがたさを思いなさい)。

仕事が忙しくて忙殺されたわけじゃないけど、気が狂ったように仕事していた前の職場から比べると、自分の時間も精神的な余裕も増えて、躍起になっていた精神や勢いが急に自分の中から消え去って、抜け殻のようになっている気がする。今も。前の職場の3年間と同じ時間が経てば、なにか変わるんじゃないかと根拠のない自信をもって3年間を過ごしたけど、結局部屋でぽーっとする日々は変わらないままだった。

 

むしろ、今までぽーっとできなかった分、ぽーっとしてやる、常に何かをし続けなければいけないということなどない、という決然とした強い意志を持って休日を有意義に過ごしているのだ、と高らかに拳を握っても、それはただの怠け者なのだけれど。

何かに向かって頭や体を動かし続けることに追われる必要はあったのかなと、何にも縛られないところでふわふわした考えに落ち着いている気がする。前は何もしていない自分を追い詰めるように、空いた時間のないように常に本を開いたり音楽を聴いたり、映像を見たりしていたと思う。その切迫感をリセットした生活を送ることで、ずいぶんと精神が楽になった実感はある。昼寝をするようになったのは、自分の中でも大きな一歩だと思う。しかし、昼寝をした時間をあとになって、「何もしなかった時間だ……もったいない」と思う自分がいて、その自分に対して、

「いや、昼寝をしたのだからなにもしなかったわけではない。むしろ、なにもしなかったということをしたのだから、私は常に何かをしているのだ」

という、バカみたいに哲学的な屁理屈を並べて自分を誇らしく納得させている。

 

せっかく増えた自分の時間に、最近は漫画を読むことが多くなった。趣味は人並みに本を読むし、映画もアニメも観るという感じで、一つのことに熱中し続ける集中力がないために専門性を極める趣味はないと思う。

現代人の悩みなのか、部屋で2時間の映画を観ることが最近はしんどくなってきた。25分くらいのアニメを1、2話観る程度でちょうどいい。でも映画館では集中して観れる。やっぱり何かを楽しむにも、それに向かい合う心の準備と現実を切り離して楽しめる環境づくりというのは大事なんだなと感じた。

小説や専門書、実用書を読んでも文字が頭に入ってこない時期もあったけど、最近は少しずつ読めるようになってきた。

とはいえ、だんだん吸収するためのエネルギーにコストがかかるようになってきたし、体力や気力が落ちている気がする。そんな今でも気楽に触れられる漫画。漫画を読まなかった期間を埋めるようにいろんなものを読んでいる中で出会ってしまった。

 

少女終末旅行

 

一瞬で惚れてしまった。

あえてジャンル分けするならばSF(終末系)になるのだけど、二人の会話劇、線の数で明暗を描くタッチ、構図、意外とタッチや背景に馴染む童顔丸顔のキャラ、台詞の余白、文明が崩壊し物質が減少した世界で見直される物と存在の価値。宗教哲学。すべてに一切の無駄がない洗練された漫画だった。アニメでの映像表現や臨場感のある音、二人の空気感が見事に映像化されていて、二期や劇場版で原作の最後まで制作されなかったことがとても惜しい。作られたら化けたと思う。

サブカルのいいとこどりをしたような作品で、きっと同じような作品が生まれているのだろうけれど、これだけは唯一無二だと感じた。ブルーレイも買っちゃった。

「おすすめの漫画はなんですか?」と聞かれたら、

少女終末旅行」と条件反射で答えるオウムのようになっているこの頃です。

 

終末世界の文明を見つめながら旅をする二人の台詞に込められる問いかけや思想の示唆。緩やかな会話の中に時折滲む終わりの予感。終わりに向かっていく中で、生を慈しむことの尊さ。いや、読んだ当時感じたことはこういうことじゃなかった気がする。けど、閉塞感の拭えない時代と終末世界というのは共通していると感じるし、山に登る中で物を捨てていく場面は、物質への執着を捨てていく仏教的な思想を感じて、作中に登場したショーペンハウアーの厭世思想と重なったことは興味を深められた発見だった。浅学なので本を読んでみたい。

それも物語の要素の一つとして進み、最後はチトとユーの二人に収束するところがすごく良かったなと思う。という感想はいいとして、作者のつくみずさんがあとがきに書かれた言葉がとても印象に残っています。

 

『終わりがあるというのはとても優しいことだと思います』

 

作中出てくるロボットやAIが最もその象徴的なものだと思うのですが、終わりのない永遠が続いている途方もない無限の未来をただ漫然と迎え続けることの辛さ。それに終わりを告げることは、苦痛からの解放。物事が終わりを迎えることの安らぎを後味として残してくれる読後感に、寂しさと清々しい気持ちになったことも確かでした。

終わりがあるから、生を慈しむことができる。『あなたの人生の物語』にも感じた「どんな未来が来ることがわかっていても、訪れるその瞬間を慈しむことができる」気持ち(冷静に、自分には無理だと思った)。ここ最近読んだ『生物はなぜ死ぬのか』という本を読んでも、生命の終わりを意識したし、シンクロニシティ的に「終わりがあること」を考えることが多くなっている気がする。私たちも死に向かっていることは当然の事実で、死に向かって生きている。けれど、いつか死ぬことをわかっていて今からびくびくする人がいないことと同じように、人は瞬間に楽しんだり感動したり、生きることを楽しむことができる。

作中の二人が迎える光景とその姿を見ることができてよかった。あまりにも幸せそうに見えたから。

現実と終末世界をリンクして感じられた時、彼女たちのような心持ちで居られたら少しは和らぐものがあって、絶望と仲良くしながら、人生を旅するように歩いていけたらいいなと思ったりする。なんとも言えないけれど、大好きで大切にしたい漫画。

 

一日を重ねていくことも、歳を取ることも、小さな終わりを一つ一つ迎えていることになる。普通に生きていたら、その一つ一つに区切りを意識することもなくなって、自分が今どこを進んでいるかわからなくなっている気がする。

だからこうして、その時の自分の気持ちを少しでも置いて、また次の日を迎える意味で書いてみるのもいいのかなと思った。

気まぐれに終わるかもしれないが、気持ちの節目には書いていきたいところ。

ひとまず、おやすみなさいを言って、今日はおしまい。

目に見えないもの

仕事帰りの電車内。

スマホを持って接続したイヤホンを耳に差し込み、音楽を再生する。今日は何しようかなと考えながらタイムラインを滑らせて未来と過去を自在に行き来する。絶え間なく新しい刺激を開いては飽き、閉じては気になり、開いては閉じる。赤い通知を消し続ける。
スマホを膝に置いて車内を眺める。

僕と同じように一枚の板を持ち、指先を動かす人が電車の座席に押し込められるように座っている。

高度通信高機能携帯情報端末スマホ

人が夢中になるものがその中に詰まっている。表情には表れないが、感情は動き回っているのだろう。その端末が心の代わりと言ってもおかしくないほどに。心のデバイスは、もはや手放せなくなっている。紛失しようものなら、まるで半身を失ったかのように騒ぐだろうし、奪われれば怒りを起こすだろう。しかし、壊れれば新しく買い直せばいい。記憶は預けているから心配ない。そこに時代特有の、よくある冷たさを感じてしまうことがもはや寒々しい。けれど薄っぺらい板の中にも、ぶ厚く積み重なった出会いの繋がりがあり、容易く断ち切ることなどできないはずなのに。変化に追いつけず、頑固で老いぼれた心を持つものが「何をしているかわからない」と吹いて回るテクノロジーの中に収められてしまう諸々のことにただ恐れるだけでは、人は何のために想像する脳みそを持っているのか、自分に説いた方がいい。

目に見えない心を想像するから、優しくなれる。無機質なテキストの向こう側。ゼロとイチの集合体。マスクの奥に隠れた表情も。想像できないようなら、いとも簡単に負けてしまうだろう。目に見えない空気に漂う、目に見えない病に。

耳コピコード進行解説『わちゃ・もちゃ・ぺったん行進曲』

バンドリ!ガールズバンドパーティ」より、ハロー、ハッピーワールド !の『わちゃ・もちゃ・ぺったん行進曲』の耳コピコード進行です。

 

マシュマロでリクエストをいただきましたので耳コピ致しました。マシュマロをくださった方、ありがとうございます!投稿が遅くなり申し訳ありません。

ガルパ内のイベスト「リトルスマイルステップ!」の楽曲です。花音さんが、水族館から逃げてしまったペンギンを介抱し、無事に水族館に返してあげる中、花音さんが積極的に自発的に動く勇気や強さを見せた、成長を感じるストーリーでした。その一歩踏み出す前向きさがコード進行にも含まれていたかなと思います。

ではさっそくコードを以下に記します。

※以下のコードはあくまでも私個人の聴き取りによるものなので、正確さや細かなニュアンスに欠ける部分があります。ご了承ください。

 

『わちゃ・もちゃ・ぺったん行進曲』

歌:ハロー、ハッピーワールド!

作詞:織田あすかElements Garden

作曲:末益涼太Elements Garden

(2018年)

 

key=E♭

◇イントロ

A♭ Gm|Fm Gm ×3

A♭Gm|B♭

A♭ Gm|Fm Gm ×3

A♭Gm|B♭

 

◇Aメロ(ぺたぺたっぱったんと〜)

A♭ Gm|Fm Gm ×3

A♭Gm|B♭

A♭ Gm|Fm Gm ×3

A♭ B♭|E♭

 

◇Bメロ(世界は巨大で〜)

A♭M7|B♭|Gm|Cm|Fm |B♭|Gm|Cm

 A♭M7|B♭|Gm G♭|Fm Em-5 |

Fm Gm|A♭|B♭ Bm7-5|C sus4 C(いざゆこ)

 

◇サビ(わちゃもちゃわちゃもちゃ〜)

A♭|B♭|Gm|Cm C|A♭ |B♭|Gm|Cm

A♭|B♭|Gm G♭Fm|C|

A♭Gm|B♭|

 

◎この曲は難しいコードを使っているわけではありませんが、花音さんが一歩踏み出して前へ進んでいくという解釈を含めることができるなと感じています。

まずイントロからAメロ。

A♭→Gm→Fm→Gm→A♭→Gm......といった具合に、同じコードが回るように続いています。ラソファソラソファソ......と、ずっと同じところを行ったり来たり。そう、まるで道に迷いやすい花音さんのようですね……。

曲の展開も最初は平坦な印象があります。特にAメロではギターのカッティングがチャッチャッと刻まれて、コードの変化も感じづらいです。私もAメロ最初のコード進行はわからず、ずっとA♭M7が続くのかと思っていました。しかし、途中からベースが入ってきてコード進行の形が見えてきます。どこに進んでいるのかわからない花音さんを導くはぐみちゃんのように……。私は無事にはぐみちゃんのベースに導かれてAメロのコード進行を追うことができ、Bメロに辿り着きました(初めからベースをしっかり聴きなさいという話)。

 

◎Bメロ最後とサビで緑文字のCは、主調であるE♭には含まれないコード(ノンダイアトニックコード)です。通常構成音としてはCm(ド-ミ♭-ソ)が使われますが、ここではミが半音上がってC(ド-ミ-ソ)が効果的に使われています。このCコードは、のちにA♭へ進もうとする動き、その推進力の役割を果たします。曲を終わりへ導くのではなく、盛り上がるサビへ「もっともっと!」とエネルギーを絶やさず拍車をかけるイメージに近いです。

通常のコードから逸脱して、いつもの日々から一歩飛び越えて前へ進み出す花音さんの前向きな気持ちが、このコード進行に表れされていると考えることができるのではないでしょうか。そうやって聴くと、この曲がまた少し思い入れの深いものになりそうですね。

今回は以上です。読んでくださってありがとうございました!また、マシュマロをくださった方、ありがとうございました!

 

 

わちゃ・もちゃ・ぺったん行進曲

わちゃ・もちゃ・ぺったん行進曲

  • 発売日: 2018/12/05
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 



耳コピコード進行解説『Step×Step!』Poppin’Party(バンドリ!)

バンドリ!ガールズバンドパーティ」より、Poppin’Party(ポピパ)の『Step×Step!』の耳コピコード進行です。

 

バンドリ!アニメ3期、観てますか?

RASのパレオには相当なバックボーンがありそうで、毎話迎えるのが怖いです。

この曲はRASのギター担当、六花がRASに加入することを迷っていた時、ポピパが六花のために作曲し、ライブで演奏し、背中を押した重要な曲でしたね。ポピパを追いかけて都会の学校に入学し、バンドをするために銭湯に住み込み、学生生活とライブハウスでのバイトを経験しながらギターを練習するという背景が、アニメ二期で描かれていました。憧れのポピパに入るということは叶わないものの、ポピパのそばにいられることに喜びを感じつつ、バンドメンバーを集められずにもどかしい日々が続く。そんな中、スカウトされたのはRAISE A SUILEN。Roseliaと対立し、おたえがサポートとして加わっていたバンド。六花がRASに加入すれば、ポピパともいつか対立してしまうかもしれない。それでも、六花がRASに入る背中を押したポピパ。こんなことができるのは、気持ちを後押しできるエネルギーを持っているポピパにしかできないことだなぁと感じました。「キラキラだとか夢だとか」に続いて、ポピパからもらったものが多い六花。ライブでその曲を聴いて走り出す六花の姿に感動しましたね……。今回耳コピしたのはそんな曲です。

ではコード進行を追っていきます。

※以下のコードはあくまでも私個人の聴き取りによるものなので、正確さや細かなニュアンスに欠ける部分があります。ご了承ください。

 

『Step×Step!』

歌:Poppin’Party

作詞:岩橋星実Elements Garden

作曲:岩橋星実Elements Garden

(2020年)

 

key=A♭

◇サビ(さあStep by step〜)

|A♭|E♭|Fm|Cm|D♭|Cm Fm|B♭m|E♭

|A♭sus4 A♭|A♭add9 A♭|A♭sus4 A♭|A♭add9 A♭

 

◇Aメロ(立ちすくんで動けなくなった時〜)

|D♭|D♭|Fm|Fm|D♭|D♭|A♭|A♭

|D♭|D♭|Cm|Fm|B♭m|Cm|D♭|E♭

 

◇Bメロ(感じるままに go for it 〜)

|D♭ E♭|Fm|Fm E♭|A♭

|B♭m|Cm Fm|D♭|E♭

 

(走り出そうよ)

N.C.

 

◇サビ(ほらStep by Step Step by Step)

|A♭|E♭/G|Fm|Cm/E♭|D♭|Cm|B♭m|E♭ Edim

|Fm|Caug/E|A♭/E♭|Ddim7

|D♭|Cm Fm|B♭m|E♭

 

アウトロー

|A♭sus4 A♭|A♭add9 A♭|Fm|Fm

|D♭|D♭|B♭m|E♭|A♭

 

◎サビの緑字はF→E→E♭→Dのベース音が半音ずつ下がるところをしっかり鳴らせるとかっこいいと思います。

とにかくこの曲は、ポピパらしい前向きで、ぐんぐん前に進んで行くような曲なので、元気よく弾きたいですね。

今回は以上です。

ありがとうございました!

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