まじめ道楽

観たもの、聴いたもの、読んだもので生きる

目に見えないもの

仕事帰りの電車内。

スマホを持って接続したイヤホンを耳に差し込み、音楽を再生する。今日は何しようかなと考えながらタイムラインを滑らせて未来と過去を自在に行き来する。絶え間なく新しい刺激を開いては飽き、閉じては気になり、開いては閉じる。赤い通知を消し続ける。
スマホを膝に置いて車内を眺める。

僕と同じように一枚の板を持ち、指先を動かす人が電車の座席に押し込められるように座っている。

高度通信高機能携帯情報端末スマホ

人が夢中になるものがその中に詰まっている。表情には表れないが、感情は動き回っているのだろう。その端末が心の代わりと言ってもおかしくないほどに。心のデバイスは、もはや手放せなくなっている。紛失しようものなら、まるで半身を失ったかのように騒ぐだろうし、奪われれば怒りを起こすだろう。しかし、壊れれば新しく買い直せばいい。記憶は預けているから心配ない。そこに時代特有の、よくある冷たさを感じてしまうことがもはや寒々しい。けれど薄っぺらい板の中にも、ぶ厚く積み重なった出会いの繋がりがあり、容易く断ち切ることなどできないはずなのに。変化に追いつけず、頑固で老いぼれた心を持つものが「何をしているかわからない」と吹いて回るテクノロジーの中に収められてしまう諸々のことにただ恐れるだけでは、人は何のために想像する脳みそを持っているのか、自分に説いた方がいい。

目に見えない心を想像するから、優しくなれる。無機質なテキストの向こう側。ゼロとイチの集合体。マスクの奥に隠れた表情も。想像できないようなら、いとも簡単に負けてしまうだろう。目に見えない空気に漂う、目に見えない病に。